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2006年 10月 26日
出られたかもしれない総会を休んでしまったので、そのお詫び(にはなりませんが)として
本日の踏切事故の一部始終をできる限り具体的にお伝えします(写真がないのでご了承を)。 ①事故概要 10/26 17:19ころ、 東海道線茅ケ崎~辻堂間の五仁原踏切で、ショベルカーを載せたクレーン車が、4.5mの鉄製ゲートに衝突、ショベルがバランスを崩して荷台から転落し、線路上に横倒しとなった。この事故のため、東海道線は東京~熱海上下線(+貨物線も)で3時間45分ほど不通となり、通勤・通学客を中心に多大な影響が出た。 ②事故発生、そのとき筆者は ちょうど17:31発の上りに乗る予定だったが、最もタイミング悪く該当列車が茅ケ崎で足止めとなる。振り替えも行っていたが、相模線・バスともに数百から千人に上ると思われる、とてつもない行列で、とてもそこに並ぶ気にはなれず。車内でいつとも知れない復旧を待ちながら、同僚に遅れる旨を伝えるが、ちょうど総会開始時刻の18:30ころ、「復旧は20:30ころを予定」とのアナウンス。この事態には、復旧待ち大好きの筆者も、さすがに改札を出た。 ③総会をあきらめる いったん家に帰るも、こうなったからには、我を見事に大事な総会から遠ざけてくれた忌々しき事故の様子を見ずにはいられない。といってもどこの踏み切りなのか?情報不足ではあるが、車が通れる3つの踏み切りに狙いを絞り、急いで無灯の自転車を走らせる。まず一つ目、サザンの歌でお馴染みラチエン通りの異人館踏切、しかし、道中で交通整理員の声を小耳に挟む「列車の事故でクルマが込んじゃって~、ここじゃなくてずっと辻堂のほうなんだがね」残る2つだ。急いで自転車をUターンし、はるか先の松浪交差点を曲がると、ビンゴのようだ。鳴り止まない踏切の音、生々しい現場を照らす照明と、事故機の撤去用とおもわれる巨大なクレーン車と、その周りを囲むいくつもの赤いサイレン灯が見えてきた。周囲を取り巻く大勢の野次馬ギャラリーに、自分も混じる。時計は、19:30を指していた。 ④騒然、事故現場 すでに事故から1時間以上たっているのに、横転した重機は見事に上り線と貨物下り線上に寝そべっていた。一方現場のすぐ手前、かろうじて難を逃れた上りE231系が幽霊のように止まっている。旅客列車だったはずだが、もちろん車内はもぬけの空。乗客はここから降りて辻堂まで歩いたのだろうか? 「あんなちっちゃいんじゃ持ち上がりっこないよ」ギャラリーが不安そうに見守る中、ようやく大型クレーンがやってきて、重機の撤去を開始。後からくっついてきたかのように、テレビ局の車も何台かやってきた。これは大変な事故だなあ、改めて、現場に居合わせて実感した。 と、関係者がなにやら大声で怒鳴っている。「JRの責任者出て来い!」などという声も聞こえるが、JRはまったく悪くないわけで、それだけ現場がぴりぴりしていることが分かる。 19:45、ふう、どうにか体勢を戻されたショベルはガタガタと怪しげな音を立てながら、それでも自力で踏切の脇によけていった。これで線路上の障害物はなくなったわけで、実際、ふたを開けてみると、列車は衝突していないし、けが人もいない。架線やレールの損傷もほとんどなさそうで、なんだ、20:30よりはるかに早く復旧できるじゃないか。 その考えが甘いことに気づいたのはふと上を見上げたときだった。4.5m車高制限の鉄ゲートが、あろうことか内側にひしゃげて下りの架線に触れそうになっている。これでは下り列車のパンタグラフが接触してしまう。そこで、クレーンとゲートを鋼索で結び、外側に引っ張ってまっすぐに戻す作戦に出た。そしてクレーンの怪力で見事にまっすぐになった、はずだった。これが20:00ころ。人ごみの中、野次馬飼い主に付き合わされた犬が怖くなったのか、怯えた声で鳴いていた。 しかし、このゲート一筋縄ではいかなかった。まっすぐに直したゲートは鋼索を離すと元に戻ってしまったのだ。塑性変形には塑性変形で、という風には行かず、いかに事故の衝撃が大きかったか分かる。 結局、ギャラリーが先々からさんざん叫んでいた「ゲート切断」に踏み切ったのは20:20ころ。この手間取りによって、各駅に復旧めどの変更を伝える指令が下り、運転再開は21:00に持ち越されることとなった。 今度は別のトラックが来て、すぐに切断作業が始まった。直視すると目に悪そうな眩い火花が激しく飛び散り、犬はなお怖がる。あわや架線や踏切の集電機器に引火するのではないかと思ったほどだ。しかし、あれほど作業員を困らせたゲートはあまりにもあっさりと切断された。その後はとんとん拍子で、後はお決まりの安全確認。作業員がいっせいに踏切から下がり、復旧のときを待つ。20:50。 ⑤そして運転再開 21:05、気づけば室内灯がともり、長い警笛とともにゆっくりと動き出した886M。その瞬間、現場の作業員、JR関係者、警察に消防、テレビ局に3時間以上に上る長大ショーの一部始終を見ていた野次馬ギャラリーから拍手が沸き起こった。筆者もすぐ帰るつもりで結局最後まで見てしまった。この野次馬さんたちは(自分も)、すぐそばに家がありながら、日本ハム44年ぶり優勝+新庄晴れの引退を見事に見逃すこととなったのは言うまでもない(笑)。 追伸:実はこの踏切、昔から事故の名所である。一見線路は直線で見晴らしも良く、踏切幅が広いので安全そうに見えるが、踏切の幅に見合わず、その脇から伸びる道が狭いためにトラックなどが曲がるときに立ち往生することが結構多いらしい。今回は安全ゲートにぶつかったせいで大事故になったが、逆に安全ゲートがなかったら今度はクレーンが架線をぶち切っていたことだろう。近頃鉄道会社のドジが原因での事故が増えていることが問題視されているが、一方で、このような無理な運転をする大型ドライバーを減らさない限り、踏切事故、そして列車事故が減らないこともまた言うまでもないだろう。 長々と失礼しました。 文責:いわ
by krc_blog
| 2006-10-26 23:55
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